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2023年度第4回アキバテクノクラブオープンセミナーを開催しました      


講演の様子

2023/11/16
2023年度
第4回アキバテクノクラブオープンセミナー
 
案内役:河合昌次氏

テーマ:まち歩き〜浅草橋から両国まで落語の舞台を歩く〜

■ 落語の舞台、広小路・川遊び・柳橋を辿る  
 久しぶりのまち歩きとなった当日は、まち歩きにはもってこいの天気となりました。
 参加者は浅草橋東口に集合し、「落語の舞台を歩く」の著者である河合昌次氏を案内役にまち歩きがスタートしました。

  まずは、柳橋に向かいます。柳橋は神田川の最下流にかかる橋で、橋の北側一帯の土地を橋の名にちなんで、柳橋と呼びました。江戸時代から花街として有名で、落語にも頻繁に登場する舞台の一つです。柳橋からは土手沿いに多くの船宿があり、ここから舟をタクシー替わりに向島、浅草、吉原へ繰り出したり、舟遊びを楽しんだりしたようです。
 現在の柳橋は、神田川の両脇にずらりと屋形船が係留されており、かすかに江戸の舟遊びの名残を感じることができました。橋脇には佃煮の店がでていましたが、この店も元は、船宿だったとのこと。柳橋の欄干には粋な芸者の髪を飾るかんざしがデザインされ、今はない柳橋芸者を偲ばせています。

 次に一行は両国橋へ。両国橋は明暦の大火で逃げ場を失って焼死する人が多数出たことを教訓に対岸への避難のためにかけられた橋で、橋に向かう道は火除けのための空き地としたのが、広小路です。今はその面影を見ることはできませんが、火災の際は即刻取り壊しができるような葦簀張りの水茶屋や、軽業の興行が行われ、「日千両」と言われる一日に千両が動くといわれた場所の一つ(あとは、日本橋魚河岸、吉原、江戸芝居の猿若町)となるほどの賑わいを見せたそうです。
 橋のたもとで河合さんから質問が。「さて、両国橋の橋板は誰の書でしょうか」一同、はてなマークを浮かべておりましたが、答えは「寄席文字で有名な橘右近の書」だということでした。寄席文字とは高座のめくりに使うあの独特な文字です。落語好きの方々は「あ〜」と納得の表情でした。

  両国橋を渡って橋の東側に到着。ここには忠臣蔵四十七士の一人「大高源五」の句碑「日の恩や忽ち砕く厚氷」が立っています。討ち入り後に本懐を遂げた感謝の気持ちを表した句として、紹介されています。

 さて、両国への道もあとわずか、回向院に向かう前に、「ぼうず志やも」に立ち寄ります。
「ぼうず志やも」は落語「船徳」で船頭が暴れた店として登場。店名は船頭衆のけんかの仲裁の為にぼうず頭になった創業者に由来するそうで、船頭が行き来する隅田川周辺ならではのエピソードです。お店はまだ開いていませんでしたが、黒板塀の粋なたたずまいのお店でした。また、この近くには創業享保3年の「ももんじや」もあり、今でも江戸の味が残っています。

 最後は回向院。回向院は明暦の大火で亡くなった無縁仏の冥福を祈るためにお堂を立てたのが始まりです。落語「開帳の雪隠」にも登場しますが、全国の寺社の秘仏秘像の開帳が行われる寺院として賑わっていたようです。また、勧進相撲の場所にも定められ、相撲好きの江戸っ子で賑わっていたことでしょう。回向院にあるねずみ小僧の墓は、お墓の石を持ち帰れば勝負ごとに勝てると、墓石を削ってお守りとして持ち帰る参拝客多いそうです。参加者も墓石(墓の前に削るための石が置かれています)を削り、金運UPを願いました。

 のんびりまち歩きを楽しんだ後は、お楽しみの懇親会です。両国といえば「ちゃんこ鍋」 地元の方ご推薦の店「巴潟」で「塩ちゃんこ」を楽しみました。



(写真をクリックいただくとまち歩きの様子がご覧いただけます)

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